ラムのポテトのサブジインドのラムからメールが来た。
インドから帰ってきて2ヶ月が過ぎたころ。
「akko・okashan、なんで電話をしても出てくれないの? 何度もかけたのに。僕のこと、忘れちゃったのかな?」
そんな内容だった。海外通信の方法が違うのかもしれない。私が海外へ行っていたからつながらなかったのかも。出なかったわけじゃない。履歴にも何にも残ってなくて気づかなかったのだ。

ラムは私のもうひとりのインドの息子である。
二十歳のラムにお母さんと言われることに抵抗があった。けれど、「akkoって呼んでね」
といっても、彼は固くなにお母さんと呼ぶ。オカシャンという、“さん”が“しゃん”に訛るインド的発音だけど。
「もう、私の息子だって、私のことakkoって呼ぶこともあるのよ」
というと、ラムはまじめな顔で
「インドではそれはよくないんです。年上の人を敬うから、お母さんのことは尊敬の思いを込めてマミジィと呼ぶんです。それに、僕のマミジィは37歳だから、akkoさんがマミジィでもぜんぜん問題ないよ。ノープロブレム」
ときっぱりと言う。
そっか、そこまで言われたらこちらも納得。
よろしい、私が「オカシャン」なら、今日からあなたは「マイ・サン、ラム」だわ。

というわけで、観念して、ラムに会うたびに
「オー、マイ・サン、ラム!」
別れるときは
「アイ・ミス・ユー! マイ・サン!」
そんな会話をかわして笑い合っていた。

ラムは、よくバイクの後ろに私を乗せてあちこちへ送ってくれた。
丁寧な運転のラムとのタンデムはとっても快適だった。
そう、ラムはとっても面倒見のいい男の子なのだった。

ラムは、ブッダガヤにあるドミトリー(孤児院)併設の学校で、子どもたちや先生方の食事を作っている。本業は、いわば給食のお兄さんだ。

この学校の校舎は、日本の大学生たちがアルバイト代を出し合って建てたので、日本人のボランティアがよく訪れる。ラムは英語が上手だし、日本語の単語もよく知っている。そしてなにより、料理が上手だ。1年前に行った人によると、お世辞にも上手とは言えないクッカーだったらしい。けど、めきめきと腕を上げたに違いない。
ブッダガヤに滞在中は、朝起きると、まずドミトリーへ行って、フルーツの朝ごはん。
昼、おなかがすいてきたら、やっぱりドミトリーへ行って「ランチはまだ?」とラムにおねだり。
夜ももちろんラムのカレーとサブジだ。
昼はライス、夜はチャパティのパターン。私はキッチンでラムのチャパティ作りの手伝いをするのが楽しくて仕方なかった。ドミトリーの20人の子どもたちと先生達の分だから、何枚も何枚も焼く。夏のキッチンは暑かったけど、チャパティがどんどん積み重なっていく様を見るのはうれしかった。

ラム・クマルラムの得意料理に、ポテトのサブジがある。
皮付きのじゃがいもを細切りにして、スパイスを絡めながら強火でカリッと炒めたサブジは最高。
どうやって作るのかな?
おいしさの秘密はなんだろう?
そう思ってキッチンでじっと眺めていたことがあった。

カゴの中からポテトをおもむろに取り出したラム。
そのまま、まな板の上で細切りにして、そして油たっぷりめのフライパンへ。
なるほど!
あの皮のカリカリ感は、洗わず、畑からフライパンに直行した結果だったのね。
まるで表面に小麦粉をはたいたように、ポテトの表面にほどよい、絡みを作っていたのに違いない。
なるほど。
この作り方は誰にもマネできないだろうな。



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