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銀座へ試写を見に行ってきた。

ちょうど今『海辺のカフカ』を再読しはじめたところだったので、村上春樹の短編が原作のこの映画をどうしても観ておきたくなったのだった。

この映画が興味深いのは、日本映画ではなくアメリカ映画だというところ。村上春樹の世界観がどんなふうに表現されるんだろう、と単純に好奇心をくすぐられた。ナスターシャ・キンスキーの娘シニア・キンスキーがヒロインとして出演していることにも興味があったし。

余談だけど、私は「ホテル・ニューハンプシャー」のナスターシャがとても好き。

『カフカ』を読みながら(まだごく最初のところ)、『1Q84』の天吾が母を知らずに育ったのと同じように、カフカ少年も母を知らないのだな、と(すっかり忘れて新鮮な気持ちで読める自分がコワイ)。そしてこの映画のケンゴは、父親を知らず、新興宗教の信者の母に「あなたは神の子なのよ」と言われて育った。さらに信者の子どもという点では、『1Q84』の青豆が置かれていた状況と同じだ。

『神の子たちはみな踊る』――この不思議な名前の短編集を私はなぜか未読だ。そしてこの短編は『1Q84』の主題の種のような物語だったのかもしれない。
“天吾+青豆=ケンゴ”。
あるいは、「神の子は・・・」の種が芽吹き、花を咲かせたのが『1Q84』だとも言える。

父親を知らずに育っていることがどういうことなのか。ジェイソン・リュウは常にミッシングピースを抱えて生きてきたケンゴをとてもナイーブに演じている。かわいくてハンサムでさやぐれていてステキだ。

ケンゴは、あるいは天吾や青豆は、心にぽっかりとあいた穴を抱えて生きている。そういえば、その穴に深くもぐっていった主人公もいた(ねじまき鳥クロニクルの僕)。

もしかしたら、人は生きている限り、そんな瞬間を幾度となく経験しなくてはならない生き物なのかもしれない。


だから、夜の空に月をいっしょに見る人の存在が必要なのだと思う。

だから、地球を蹴っとばすように踊りたくなるのではないだろうか。


「神の子たちはみな踊る」
10月30日より、シネマート六本木などでロードショー公開予定。