Tree-narrates1-72
昨日、画家の真木ちゃんとのメールのやりとりで、はっと気づいた。
そっか、「木」だったんだな。
彼女がインドのアシュラムスクールで描いた木
「世界を語る木」を想った。
あそこにこの絵がまだあると思うとほっと温かなものに包まれる。
私たちはどれほど深く木に寄り添って生きてきているか。
おかずくんのメッセージにも
「ジャングルに落ちている木を割って中を見てみると、
シンプルでとても複雑です」とあって、
そっか、やっぱり「木」だったんだね、と思った。

インド、ワルリ族の村でこの春に開催するノコプロジェクト。
ワルリ族の村に伝わる伝統的な家を、ワルリの人たちといっしょに建てるプロジェクト。
彼らの家に入るとすっと背筋がのびたから、
これは一体、どうしてなんだろう、と思ったのが発端だった。

牛もいっしょに寝起きしているワンルームの家で、収納もないから、
洋服や買い物袋などいろいろなものが吊り下がっている。
なのに、気になる匂いもなければ、無駄なものが見当たらない。
床にはチリひとつ落ちていない。
そこに漂っているのは、
手入れされた寺社に入った時のような、端正な空気なのだ。

工法を知っていくと、床はいわゆるたたきで、
太い木の棒で来る日も来る日も、叩きまくり、人力でフラットな硬い床を作り、
その上に牛糞を薄くコーティングして浄める。
牛糞は虫を寄せ付けないなどの殺菌効果があるという。

家は何本かの柱で支えられている。
最初の一本を建てるときにお祈りをするから、
中心になる柱に、榊につけるシデのような紙や葉が吊り下げられている家もある。

プロジェクトは2月25日から。
そろそろ木の準備をしようと現地で動いているおかずくんだが、
柱となるサーグと呼ばれる木を手に入れることにとても苦労している。
その模様は、月2回配信されるメールマガジン「okazu通信」に書かれているので、
詳細は書かないが、
通信を読んでいて、
このことを知ることができたこと、インドでプロジェクトを進める意味は、
こういうところにあるのだな、と痛感した。
そして、「そっか、やっぱり木だったんだ」と思った。

サーグという木は、船の建材としても使われてきた堅牢な木で、
ワルリのジャングルでは普通によくみかける木だった。
だから油断していたのだ。
彼らはごく自然にその木を柱にして家を作ってきた。
だが、外部業者の乱獲により、急速に数が減り
(グロバリゼーションはここにも影響していたわけで)
10数年前から森林局が取り締まるようになった。
ワルリ族は自分たちの家に使う木ですら、自由に切れなくなった。
もちろん、その取り締まりは必要だし、例外を許していたら、きりがないし、
悪用、乱用は止まないだろう。
輸入されるサーグは目の玉が飛び出るほど高価で、
そんなことからも、今さらながらに、サーグの価値がひしひしと身にしみる。

ワルリ族の家は、立て替えたばかりの家でも、
柱は以前から使っていたものだったり、
解体した家のものを譲り受けるなどして使っている。
神様に近い存在であり、
「大事」なものなのだ。

その「大事」が彼らの家の精神なのだ。
だから気持ちよかったんだ。
たまたま先日、鎌倉の「一翠堂ギャラリー」で故・若宮伸洋氏能面の展示を見た。
奥様が「檜で彫るんですけど、檜がなかなか手に入らなくて大変でした」とおっしゃっていたが、
檜に魂を宿らせること、その凄みが能面という小さな創造物のすべてだ。
観阿弥、世阿弥の時代から脈々と受け継がれている能面を想った。
ここでもまた「木」だ。

「okazu通信」では、村で植樹にも取組みたいとあったけど、
「木」に報いることができるとしたら、
そういうことくらいしかないではないか。
20年30年の長期スパンの取り組みだけど、
どれひとつ、やってみますか。


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