明け方4時半着の予定が30分遅れで、5時に到着したカガリア。
前日の午前9時25分発のラジダニエクスプレスだから、
およそ20時間の列車の旅だった。
まず、目的地の私立学校へ向かい、創設者家族、生徒たちと合った。
めずらしい東の果ての訪問者に生徒たちは興味津々。
日本に対する質問コーナーを設けたら、
「なぜ、日本は第二次世界大戦でドイツ、イタリアと組んだのですか?」
という鋭い質問も。
この学校とのおつきあいは、一通のメールから始まった。
「うちの学校の生徒がウエブサイトで、WAFのことを見つけました。
みんなとても感動しました。
ぜひ、うちの学校でもWAFを開催してくれませんか」
アビシェクと名乗るその人は、流暢な英語で、経緯を伝えていた。
「いつ来れるか、電車の切符はこちらで手配する」と、
丁寧なメールが入ってきていた。
WAPのことを知ってほしくて、
ノコプロジェクトの「家」完成記念のオープニングセレモニーに誘うと、
ビハールからはるばる駆けつけてくれたアビシェク。
「僕の父が経営している小さな町の学校」をぜひ見に来てという。
インドの最貧困州、バックワードといわれるビハール州。
私たちが最初の3年間、WAFを開催したのも、離れてはいるけれど、
同じビハール州だった
しかし今度は町中にある学校ということで、
その学校で開催する意味は何なのかを考える、まずそこから始めなければ、
と思っていた。
行ってみてわかったのは、
まず、カガリアの置かれている状況だった。
ビハールのさらに奥地、7つの川に挟まれたカガリアは、
常に川の氾濫にさらされ、発展から取り残されていた。
識字率は50%以下。
女性は12歳過ぎると結婚させられ、子どもを生む。
DVの被害もあるが、表沙汰になりにくい。。
しかし、町を歩けば、
どこの町でもそうであるように、
人々は逞しく人生を謳歌していた。
かまどでチャパティを焼いている女性は、食べて行ってよ!と誘ってくれる。
夕方歩いていると、子どもたちが寄ってきて、
町のいろんなものを見せたくて、
こっちを見ろ、あっちを写真撮れと、ぞろぞろ30人くらいで歩くはめになる。
よし!
ここでWAFを開催しない理由は何もないじゃないか、
とおかずくんと話し合った。
学校とストリートをがっつりとつなげて、
学校や教育を見直してもらう。
カガリアから巣立っていくことに誇りを持ってもらう。
いつかカガリアに戻って、いい町にしようとがんばってもらう。
ファンドレイズの必要性を重々承知している
アビシェクファミリーの意識の高さにひっぱられつつ、
決意を新たにした。
アビシェクママのおいしい手料理を朝、昼、夜と3食味わい、
その夜中1時30分の列車で出発した。
目的地のラクナウ到着は翌夕。
0泊3日、カガリア滞在の記。
ゴトンとひとつ何かが大きく進んだ。
WAPがもっとも得意とする突撃体勢がふたたび始まる予感!
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