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昨晩は、両国アートフェスティバルの初日。
オーディエンス100人ほどの小さな門天ホールで芸術祭は幕を開けた。
門天ホールに舞台はなく、
2台のグランドピアノを囲むように、その同じ床上にパイプ椅子が並んでいる。
結果、南アフリカ共和国から来日したジル・リチャーズと
この芸術祭の芸術監督の井上郷子の競演を、
自分だけのために演奏してもらっているような、
一見、ラフだけど、考えてみたらものすごく贅沢な演奏会であった。
演奏者、ピアノ、自分との一体感が半端ない。
音が滝のように身体に入ってきて、弾け続けた。

コンテンポラリーにこれだけゆったりと、
気持ちよく、浸ったのは初めてだった。

6曲のうち、休憩後の2曲について、きょうは書き記しておこうと思う。
最初は樅山智子の「リトルフットの墓」。
曲の始まり。
ジルがフェルトを巻いたマレットを構えて曲が始まった。
井上郷子が弦を弾くと、ジルがピアノの内部を叩いてコーンと音を立てる。
プリミティブな祈りに似た振動に包まれた。
作曲家、樅山智子が、
南アフリカ、ヨハネスブルクの化石遺跡群「人類のゆりかご」で
出会ったという370万年前の猿人「リトルフット」が
静かに立ち現れた。
なんてロマンチックな曲を作るんだろう。
どれだけ音と戯れさせてくれるんだろう。
人類のゆりかごで思い切り遊ばせてもらった、そんな曲だった。

ラストはケヴィン・ヴォランズの「蝉」。
2人のピアニストがぴたりと正確に小さなフレーズを奏でる。
そのミニマルな連なりが心地よく、
「時空」が凝縮されていく。
かつてバリ島のウブドゥで聴いたガムランは、その凝縮された時空が弾けるという
とんでもない仕掛けが仕込まれていて、困ったことがあったけれど・・・
ケヴィン・ヴォランズのそれは、
ただただ、水にようにますます澄んでいくのだ。
ピアノの奇跡。
ジェームズ・タレルのあの四角い空が、この曲を完成に誘ったという。
タレルのすごさをここでまた実感。
世界は、私たちを置き去りにして、美しい。
それでいいんだ、と思えた夜だった。