写真-33
松本亮「実と花 時と間 葉と月」の初日、
神宮前のBLOCK HOUSEへ。
指先が線や点や色の造形を生み出していくことへの単純な驚き。
これで生きるには、相当の覚悟がいると思うけど、
いつまでも観ていたくなるこのエネルギーはなんなんだろう。
どこまでも尽きることを知らない放射。

展覧会を後にして、
ノコプロジェクトのメンバーが集まるミーティングに向かった。
ミーティングのテーマは「私とノコプロジェクト」。
美術やデザイン教育の分野にいるメンバーの一人から、
造形教育、美術教育の単元が減ってきている・・という声。
(実際には彼女は欠席で事前にメールでもらっていた)
そんな世の中だから、ノコプロジェクトにできることがあるかもしれない、という
小さな種みたいな想い。
さっき観た松岡亮のペインティングが改めて頭に浮かぶ。
あの自由さが何らかのカタチでみんなの心に届いたらいいのに、と。

みんなの「私とノコプロジェクト」を聴いていて、今は、
ひとりひとりの中に小さな種が蒔かれているところなんだ、と思った。
「ノコをやればやるほど、日本に還ってくる」という声。
「ノコを通じて自分の中の土を耕している、つまりは、
この世界での自分の位置取りを発見しようとしている」という人。
「無人島の小さな畑で土を耕す暮らしを思い描いていたけれど、
仲間とつながって何かをやっている自分がいる」と楽しそうに言う人。
「単純に巻き込まれてますね」というプロフェッサー。
「まだノコの村に行っていないけど、
ここで話していると単純にほっとする」という人。

私自身は、ノコプロジェクトはやはりあくまで
ウォールアートフェスティバルと同義だ。
家を建てることは、壁に絵を描いているところを見せることと似ていて、
その行為自体が発信であり、起爆剤だ。
そこにやってきた村の人々や子どもたちがそれをどう観るか。
どう観るかの押しつけは一切なし。
その様子を世界中のオーディエンスに向けて展示する。
さて、みなさん、どう感じますか、という問いかけ。
その一点に尽きるように思う。
この立ち位置って、変わるようで、
きっと不変なんだろうな。