インドのノンプロフィットカンパニー「ART PLUS BLUE Foundation」がスタートしました。
理事は浜尾和徳と私。
広報担当はアムルタ。インド、ムンバイ在住。
彼女が「ART PLUS BLUE Foundation」のブログを執筆してくれているのでシェアします。

ちょっと解説すると。
この文章の原文はマラティ語ですが、英語はもちろん、
日本語が堪能なアムルタ。
出会いのきっかけは2013年2月に開催したウォールアートフェスティバルでした。
ムンバイ大学日本語学科の先生の紹介でボランティアとして参加してくれたのでした。
あの時、高須賀千江子のライブダンスを見て涙を流していた彼女が印象的でした。
かくも感受性豊かで、知的な女性と出会えたことは、WAPの宝でした。

私たちのプロジェクトで子どもたちと関わったことがきっかけで
現在、教育関係の仕事に就いている彼女ですが、
忙しい合間を縫って、その後のウォールアートフェスティバルはもちろん、
世界森会議の通訳にも駆けつけてくれています。
「ART PLUS BLUE」。
とてもステキなページですので、訪れてみてください。
https://artplusblue.wordpress.com

・・・・以下転載・・・・・・・
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一本だけポツンとあるヤシの木で十分
エッセイ:アムルタ・カレ Amruta Khare
初出:ART PLUS BLUE Foundation https://artplusblue.wordpress.com

一本だけポツンとあるヤシの木で十分。

海辺の記憶を辿るには。

少しの時間、休むには。

ぼんやりするには。

不毛な努力をするには。

木に登るには。

一本の木があれば、本物の森は建物たちによって成り立つわけじゃないと思い出すのに十分事足りる。本物の森には木々、動物、平穏、恒常性、そしてなにより大事な寛容さがある。本物の森の中では自分の道を切り開かなければならない。そして、その道は「正解か」「間違いか」というものではなく、ただ単に私たちが作り上げた私たちのための道でしかない。

私自身、アートについて語れるような人じゃないのだけれど、私とアートの関係はそれと似ている。のらりくらりと成長する草の葉が、地平線の美しさについて話をしようとしているかのような。だけど、草の葉といえども、幾重もの土の層を越えて太陽のもとへと育っていく粘り強さをもっている。私はそれと同じエネルギーを携えながらアートを見る。そしてアートを全身全霊で理解しようと試みる。今日までいくつかのアートの展覧会や歌のプログラム、演劇、映画、器楽のコンサート、ダンスショーに参加してきた。私は自分なりの方法で楽しもうとしてきた。それぞれのアート作品を見るごとに、幾千もの考えが頭をよぎったことだろう。そのうちのいくつかを自分なりに解釈し、理解してきたけれどまだ謎として残っているものもある。その中で一番忘れられないのは、あの自転車だ。

ムンバイのギャラリーにとある絵の展覧会を見に行ったときのことだ。その日の朝の新聞で紹介されていた、州レベルの展覧会で賞をとった絵のエキシビションだった。高校を卒業したてで、大学1年生の時だった。当時、その展覧会に行きたくて仕方がなかった。友達の一人が一緒に行く予定だったのだけれど、直前に行けなくなってしまって・・・でも、一人で行くことにした。その日はかなりたくさんの絵を見た。どれも良かったにちがいない。“ちがいない”というのは、もうあまり覚えていないからなのだけど。

でも、円形のホールの中でほとんどの絵を見終わった後、一枚の絵の前で足を止めた。茶色と黄色とオレンジの背景に描かれた自転車だった。とてもシンプルで、でも神々しいくらいにきれいだった。10−12年後の今、その絵の細かいところまで思い出せる。

自転車!!ある場所から別の場所へ移動する普通の乗り物。

その自転車で私は自分の旅を始めた。この絵はその日まで私が知らなかった場所へのドアを開いてくれた。

子どもの頃、その自転車の絵と同じように私に影響を与えた西ベンガル州のシャンティニケタンという場所についての本を読んだ。一人旅に出かける機会を得たとき、シャンティニケタンへ行こうと決めたのはその本のおかげだ。シャンティニケタンはアートの発祥地ともいわれるべき場所。同時に、スンダルバンズ(Sundarbans)も西ベンガルへ旅に出ることを決める要因になった場所だ。私が初めてスンダルバンズの生物多様性と奥深い森についての本を読んだとき、私はここへ必ず行く、と心に決めた。このブログの上部にある写真はそこで私が撮影したもの。

絶え間なく流れる水、太陽のはじけるばかりの輝きとどこまでも広がる空。少し距離を置いて眺めると、空と海が水平線で混ざり合うところが見える。その瞬間、自分が一粒の点のようなものだと気付いた。だから土から芽吹き空へ必死で伸びていく木をみると、安堵のため息がでる。

それが、一本だけ生えているヤシの木で十分、と思う理由。