
死んだ鯨のお腹から大量のプラスチックが発見されたという報道があった。
悲しかった。
私たち人間に突きつけられたメッセージだと感じた。
私が特別感傷的なわけではなくて、これを繰り返したくないと思った人は多いはずだ。
私たちの命の根源に海があるから。
遠い遠い昔の記憶。
私たちのセンサーはまだまだ衰えていないのだ。
かなり鈍くなっていたとしても。

ツォモリリシネマで、映画「ZAN〜ジュゴンが姿を見せるとき〜」を観た時に思ったこと。
辺野古の埋め立てを、経済事情や国際問題など難しい問題と捉えるのではなくて、
「人間」がやってはいけないことがあるのだ、と思えばいいんだ、と思った。

五十嵐大介の「海獣の子供」は大好きな漫画だ。
原作をリスペクトしてアニメの力を結集した映画で、
だから、アニメ映画「海獣の子供」は本当に見応えがあるのだけど。
原作も映画も、
人が生き物として持っているセンサー。そこに少しの知恵と判断力。
それこそが私たちが生きている意味なのだと気づかせてくれる。
今回の沖縄出張で嘉手納周辺に滞在していたら、
「基地で戦闘機を洗浄する排水で地下水が汚染されているんだよ」
という声が聞こえてきた。
ここから戦場へ飛び立つ軍機があるということ。
嘉手納基地は空軍基地だったっけ、、、そんな覚束ない知識の自分を反省しつつ。
ものすごく大きな戦闘機の機影と音に生き物として怯えつつ。
水は循環している、と私たちが今ラダックの世界森会議で取り組んでいる水のことを思った。
地下水はみんなが口にする水に繋がる。
「インドの布遊び」と題して開催中のツォモリリ展示会は、
読谷村の小さな丘の頂上にある「りゅう」というお店が会場だ。
最初に一歩を踏み入れたとき、「いい匂い」だと思った。
マイナスイオン? とにかく気持ちいい。
ここには何かがある、と、感じさせてくれる場所。
思えば、ワルリ族の村に足を踏み入れたときもそう言っていたと、
おかずくんが指摘した。そういえば、あそこの空気と似ている。
映画「ZAN」の中で、実はジュゴンは、島の言葉でドゥゴン、
ドラゴンに通じるのではないか、と言っていた人がいたけれど、
ジュゴンは、この世界に何かが起きそうなとき、警鐘を鳴らしにやってくると信じられてきたそうだ。
ジュゴンとドラゴン、そして読谷の「りゅう」。
辺野古。嘉手納。
映画「ZAN」と「海獣の子供」。
沖縄の旅はあと1日。
そして、今日は選挙の日。
どんな結果が出るかは別として、民主主義を駆使して、未来の舵取りに参加したい!
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